まろログ

最後はいつでも笑っていたい。人生を大いに楽しむためのブログ。

運営者「まろ」のプロフィール

「まろ」の簡単な経歴

『セルフブランディング』とか『オウンドメディア』という言葉に魅せられ、にわか心丸出しのまま突入した、 いつか好きなことだけをやっていける生活を夢見る、兼業ブロガー。

 

 

HN:まろ 水瓶座 A型 北海道生まれ ほとんど北海道育ち 北海道在住

身長169.6cm 体重65kgくらい

一人っ子

邦楽から洋楽までジャンル問わず結構いろいろ楽しめる。

好きなアーティストは安室奈美恵

本を読むのが好き。

ゲームが好きだが、のめり込むまで時間がかかる。ソシャゲーはあんまりやらない。

 

 母の生まれの町、北海道深川市で生まれ、札幌に移りほとんどを札幌で過ごす。

3歳くらいの頃に両親が離婚。母に連れられ母子家庭となる。

当時はまだ離婚がポピュラーではなかったようだが、心配した祖父母や親戚から手厚い愛情を受け、寂しい思いをすることなく育つ。

 

誕生からこれまで

生まれてから小学校まで

じっとしていられない、外で遊ぶのが大好きな活発な子供でした。

体を動かすのが大好きで、小学校の頃はスイミングスクールに通ったり、卓球部に所属したり、リトルリーグに入ったり、地元のサッカーチームに入ったりと転々としてました。

 

父がスーパーマリオが上手だったので、テレビゲームを僕に教えてくれて、以来ゲームを覚えた僕は、スーパーファミコンやプレステをねだっては買ってもらいました。

 

母は本を読むことが好きで、なんでも母の真似をしたかった僕は母が読んでる小説を読む姿を真似したくて本を読むことを覚えます。

初めて読んだ小説は、宗田理の「僕らの7日間戦争」

 

小さい頃は、「ドラえもん」が大好きでした。

ひみつ道具の「腕ラジオ」に一目惚れします。

以来小さくまとまっている中に色んな機能が詰め込まれてる機械が大好きです。

その性格は今も変わらず、ガジェット系には目がありません。

 

ペットとして犬を飼いたい!とねだってましたが、集合住宅だった我が家では無理と却下。以来ペットを飼うことを夢見て過ごします。

 

小学校4年生の頃に青森に転校して、新しい環境にすぐ馴染めなかった僕はいじめにあいますが、親の助けもありなんとか脱出。

開幕したてのJリーグの影響で、キング カズに憧れてグラウンドでサッカーボールを蹴る毎日を過ごすようになります。

 

中途半端な中学校時代

一つのことをじっと続けることができない僕は、部活を転々としていきます。

最終的には「サッカー部 兼 バスケ部 兼 山岳部」

山岳部では、炊飯の練習と称してみんなが部活をやっている時にカレーを食べれるからというのが理由でした。

 

僕の中学校はその頃荒れ始めていて、仲の良かった友達や先輩たちがどんどん不良化していきました。不良の世界が怖いと感じた僕は、不良化していく友達とつるみつつも、そちら側に振り切られることもできず、週に3回は塾通いをし、学校ではあまり勉強しない分を補い、ギリギリ成績を保ってました。

 

でも、不良の世界には憧れは持っていて、「湘南純愛組」がバイブルでした。

少年ジャンプを毎週読んでいて「こち亀」も大好きでした。

その頃の「こち亀」の影響でインターネットの世界に憧れパソコンをねだりますが、当時デスクトップのパソコンは20万円くらいする代物だったために、パソコンの凄さを上手くプレゼンできず即却下。

しかし、父の仕事の都合で北海道に転校することになったため、転校する交換条件として、高校生になったらパソコンとペットの犬をねだって見事OK!

札幌の公立高校を受験することになりました。

 

始めてインターネットに触れた高校生

約束通りパソコンを買い与えられた僕は、インターネットの世界に没頭していき・・・ません!

高校では部活をやっていなかった僕は、学校が終わると毎日友達の家に行き、その頃覚えたての麻雀にはまって、牌を転がしてました。

それでもテレホーダイの時間になると、夜な夜なパソコンの電源を入れて、深夜にチャットルームで全国のチャット仲間とチャットしてました。

最初は「ダウンロード」の言葉の意味もやり方もわからなかった僕ですが、このチャットの世界で基本的なことを教わって、わからないことはネットで調べるという使い方を覚えてから、僕の生活にパソコンがあることが当たり前になるようになります。

 

中学生の頃のバイブルだった「湘南純愛組」から「GTO」を読んで、いつか友達同士でバイク屋をやれたらいいな〜みたいな甘い考えから、バイク屋をやるなら機械系を勉強しなきゃ!というので、数学も物理も大嫌いだった僕は理系コースを選択。

あまり勉強をしなかった僕は、ギリギリ地元のFラン工業大学に入学することになります。

自由な生き方があることを知った大学生活

機械系に進むことを決意していたはずなのに、僕が入学したのは「電気電子工学科」

全く興味のかけらもない学科でしたが、僕の成績ではそこに入るのが精一杯でした。

ですが、興味のない分野で、わけのわからない数式が飛び交う講義についていくことは到底無理な話で、早々に勉強をしなくなります。

両親に感謝と謝罪をしたいです、、、本当に、、、、

 

大学に入ってからは、お小遣いは打ち切られ、「遊ぶお金が欲しかったらバイトしなさい」と告げられ僕は人生で初めてのアルバイトをします。

定番の居酒屋など、いろいろなバイトをしましたが、その中でもある程度バイトの僕でも裁量を与えてくれたBOOK OFFでのバイトがとても楽しくて、大学そっちのけでバイトに明け暮れてました。

 

本に囲まれながらバイトをしていて、当時尊敬していたBOOK OFFの社員さんにすすめられた本「自由であり続けるために、僕らは夢で飯を食う」を読み、同年代でもこんな自由な生き方をしていた人がいたのか!と衝撃を受け、それまで規定路線だと思っていた、サラリーマンという道以外にも生きる道があることを知ります。

 

そのため、それまでまともに努力をしてこなかった僕には実行力がありませんでしたが、何もすることなくただただ自由な生き方に憧れだけを抱いていきます。

結果、どこにも就職先が決まることなく大学を卒業します。

 

とりあえずで決めて就職し挫折

日本に住んでいるのだから、人生に一度くらい日本の首都で生活するのも悪くない

 

そう考えた僕は、卒業してぶらぶらしたままの生活でしたが、いい加減に就職しないとまずいと思い東京の会社を中心に就職活動をします。

 

大学時代にプログラミングをかじったことがあったのと、もともとコンピュータに興味があったこと、これからはITだという時代の流れに乗ってシステム開発会社に就職しますが。。。

当時はまだまだデスマを地でいく会社が多かったのか、僕も残業残業の毎日でした。

初めての就職、初めての東京、初めての一人暮らしで張り詰めていた緊張の糸があるときプチンと切れてしまい、仕事が手につかなくなります。

 

今思うと家族の温かさが身にしみて、甘えていただけだと思いますし、友達もほとんどおらず、ただ寂しかっただけだったんだと思います。

そしてお金もそんなにない僕には、休日を過ごすには東京は少し高すぎました。

 

約2年の東京での生活は幕を閉じます。

 

ゆるく適度に、そして自由を求めて模索中!

地元に戻り、フリーターになったり、出来立てのフリーペーパーの営業をやったり、タイニングバーの新規出店のお手伝いをしたり、コールセンターで働いてみたりしながら現在に至ります。

 

東京での生活で僕は、自分なりに適度に好きなことをやりながら生きていかなければやってられないのが自分だということを学びました。

今もまだサラリーマン生活は続いていますが、これからの時代、会社に所属しているだけで、会社での仕事をしているだけでは生き残れないのではないかと本気で思っています。

 

仕事をさせていただけることに感謝をしつつも、いつか本当の意味で自分の力で生きていけるようになりたいと思い、このサイトを立ち上げました。

読んでいただく方には申し訳ないですが、まずは自分が楽しめることがこのブログの大きな目的です。

少しでも自分が発信源となり、ついでに楽しんでもらえる人が出てきてくれると嬉しいです。

楽しいこと大好き!でも、一人でじっと過ごすのも大好きです!